私が初めて聖書のメッセージやお祈りを経験したのは小学3年生の時、教会のクリスマス会に参加した時です。
私はその頃、子供ながらに何か心の中に足りないものを感じていました。
それは、どうしても埋める事の出来ない、ぽっかりと空いた穴でした。
足りないものに気付いたのは、毎週教会に通うようになってからまもなくの頃です。私は本当の神様を探していたのです。
本当の神様を知って、私は、自分が生かされている本当の意味を知りました。
さて、神様は愛のお方ですが、同時にとても厳しいお方でもあります。
神様を畏れてはいましたが、10代の頃はクリスチャンになる決心がつかず、教会からも遠ざかっており、20代になってから、再び教会へ通うようになり、バプテスマを受けたのは、大切な家族の死を経験してからでした。
『わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。』(ローマの信徒への手紙14:7~8)
一見、不幸と思える状況の中、私には神様の強い愛を感じたのです。
頑な私には、このような家族の死を以て気付かされなければ、教会に戻ることが出来なかったように思います。私の大切な家族の死を通してでも、私を教会へ来るように示してくださっている、計り知れない大いなる神様の愛を知りました。私達人間の力ではどうすることも出来ない、神様の采配があるのだということを思い知らされた気がしました。
私は、日々のお祈りの時に『神様のみこころにかないますように。』という思いを大切にしています。何よりもまず、神様のみこころにかなう器としての自覚を持ち、道具として用いていただけるように、少しずつでもキリストに倣って歩んでゆきたいと思います。
WAKAKO