私は、29歳のアラサー(30歳前後の年齢の呼称)男子です。ちょうど10年前、私は留学してデザインを学びたいという夢を抱きながら、アメリカの大学を見学したり、ホームステイをする旅に出ました約三ヶ月の短い旅でしたが、その旅の中で初めてクリスチャンと言われる方々と相対する機会がありました。
彼らと接する中で、「福音書」、「賛美(さんび)」や「主(しゅ)」など、聞き慣れない単語がたくさん出てきました。また、礼拝というものにも初めて行きました。英語での礼拝はよく理解できませんでしたが、皆フレンドリーに接してくれたのを覚えています。三ヶ月の旅を終える最後に、私はイエスキリストを信じる決意をしました。
わずか三ヶ月、、、。キリスト教や聖書の事を理解するには短すぎる期間でしたし、また、若気の至りや勢いで信じてしまったのかもしれないと客観的に思われてしまうでしょう。確かに聖書やキリスト教の全てを理解するには短い期間でしたが、イエス様の人柄を理解するには十分な期間でした。「イエス様は、あなたを愛しています。あなたが信じる代わりに良い事で報いるのではなく、無条件にあなたの存在を愛しています」。
私は、クリスチャンの方々とのふれあいを通してキリストの人格を感じ、知る事ができました。今でも、聖書やキリスト教について完全には理解していません。しかし、確かに、キリストはわたしの内で生きています。また、アメリカの教会と変わらずに、日本のこの主の港教会でも、確かにキリストは生きて働いています。目に見えるものばかりに価値が置かれている今、目に見えない大切なことがあることに気付かされます。まさに「愛」はその一つだと思います。「愛するって一体、どういうことなのだろう」。そんな単純に抱いた疑問でさえ、教会に足を運ぶ十分なきっかけになると思っています。
尚哉