私たちは今、生きづらい社会にいます。人間関係、病気、家庭の問題、etc…。数えたらきりがありません。私もそれらの事について、自分の立場などをよく人と比べて、落ち込むことがあります。この世の事だけで見比べてみたら、私は完全に敗者だからです。
しかし、教会に行くと私は比べる事から解放されて、神様からの恵みをいただきます。すべての人がキリストの体の一部であって、どの部分であっても不必要なところはないからです。私たちはキリストにあって一つの体となるのです。人種、国籍、環境、立場を乗り越えて神様の前で一つにされます。
私事になりますが、今年の夏頃から原因不明の目が開かなくなる病気になり、数ヶ月間入院しました。目が完全に開かなくなる前までは、何もかもが一人でできて、人の手を借りずに生活ができました。しかし、目が完全に空かなくなってからは、当たり前の事が当たり前にはできなくなり、神様に何故ですかと心の中で叫び続けていました。原因不明なので治療方法もわからない、本当に前のように治るのか不安で一杯でした。退院して少しずつ回復してきている今だからわかったことですが、私は旧約聖書に出てくるヨブの様な人間だったんだなあと思います。ヨブという人は、悪魔が神様とヨブの関係を試すために、身の回りの全ての財産、家族、健康を奪われた人です。そのヨブはそのことが起こった後にも「主は与え、主は奪う。」と地にひれ伏して語りました。
私が今まで生きてこれたのも、また、これから生きていけるのも、全ては神様から与えられているからです。それと同時に、高慢にならないように、神様は私に不必要なものは奪われました。それがわかった今、私は平安のうちにいます。なぜなら、神様にとって不可能な事はないからです。それを感じる事ができるのは、教会です。
yui